お財布が大体仕上がったので、夕食を済ませて、今夜は三宮まで映画を見に行きます。

先日行った古着屋さんの女の子のお勧めの映画。なんだか直感として見るべきだと思っていたら、三木さんが見に行って、とにかく良かった、感動した、先生にピッタリの映画ですとのことで、これは外せない。http://www.bcny.jp/index.php
泣くような映画じゃないかもしれないけれど、涙がぼろぼろあふれて胸が篤くなりました。表現者はこうあるもの。感動です。彼は聖人です。清らかな目、清らかな笑顔。老いることを何も恐れることはない。神の域に近づくだけの事なのです。好きなことを一生懸命していれば、迷うことはないのです。
私がこの仕事をしていて、いつも思うのは、
「つくることができれば、それだけで幸せ。」
そう言うと、それは甘い!と言われたこともありました。でも、ほんまにそうなんです。私はものをつくるために、それも、人に喜んでいただけるお洒落なファンキーなもの、人に幸せな気持ちを運ぶものをつくるために生まれてきたような気がするくらいに、ものをつくっている時間が幸せなんです。私から表現というすべを奪われたら、それは死を意味するくらいに、つくること、表現をすることが好きなのです。
この映画を見て、私は間違っていなかった。と嬉しかった。日本では、まだまだ制約があるクリエイターの表現の世界。迷うことはない。やりたいことをやるだけ。極めたい。高めたい。限りはない。死ぬまで成長したい。
彼の言葉でいくつも感動したのですが、その一つを
「ファッションに否定的な声もある。混乱を極め、問題を抱えた社会でなんの役に立つのかと。」
「ファッションは、鎧なんだ。日々を勝ち抜くための。手放せば、文明を捨てたも同然だ。僕はそう思う。」
私もそう思います。自分のアイデンティティを表現する術の一つがファッションなのです。solusのお財布、バッグ、アクセサリーを持って、自己表現をされて人生を楽しまれていることを目の当たりにしている私は心からそう思うのです。