いよいよ明日が搬入。

今日まで、このフェイスブックでは、たくさんの方から応援のお言葉を頂いて、本当にありがとうございました。
私が余りに力が入りすぎていて、「イベントにどんな格好でお邪魔したらいいのかしら?」なんてお声も聞こえるほど。。。
いえいえ、ただ、私がこういう性分なだけで、構えさせてしまっていたらごめんなさい。どうぞ、お気軽に遊びにいらしてください。
今夜はちょっと語らせてくださいね。
2005年、天から降りてきたイメージがとどまらず、一気に何十個ものバッグをつくって、大阪のあるギャラリーを借りて個展をしました。そのとき、ギャラリーのオーナーに聞かれました。「こんなに色んなバッグをつくって、で、あなたは何がしたいの?」何がしたい?つくりたかっただけで考えてなかった。「百貨店で売りたい?僕は阪急のバッグの方と知り合いだから、それなら繋いで上げるけど・・・。」と言われました。そのときの私はそんなこと考えてもいなかったし、返事が出来ませんでした。ただつくりたい衝動に駆られてつくった。それだけだったから。
その後、ホームページ、ブログのそのバッグの画像を上げると、そのバッグが欲しい、こんなバッグをつくって欲しいとお声がかかるようになり、たくさんのオーダーを経験させていただきました。そして、その一方、特殊なデビューの仕方で、ジュエリーブランドの革小物部門として細々と発表させていただきました。
梅田阪急さんとは、ちょうど一年前のグランドオープンを前にして、私のブログを見てくださったバイヤーさんから声がかかり、今に至っています。
今、私が何をしたいのか?と問われると、したいことはあります。でも、この仕事で自分が自活できるほど稼げる自信は皆無です。なぜなら、大変効率の悪い仕事だからです。一点ものにこだわり、素材を海外にまで探しに行ったり・・・道楽といわれても仕方ないような仕事の仕方をしています。目指していることはありますが、それが正直、稼ぎという言葉の前には無力なことかもしれません。もし、私がこの仕事を始めたのがあと三十年、せめてあと二十年早かったら、また違うところを目指して、違うやり方をしていたと思います。でも私はいくら体力に自信があっても若くないです。若くないからこそ、吹っ切れてやれることがあります。そして、そんな私がつくるものに一目惚れをして、欲しい!と思ってくださって、身に着けて、大げさだけど、人生が変ったとか、何かが変ったとか、言って下さる、篤いファンの方がいてくださいます。私の喜びはそこにあります。ありがとうございます。がんばりますね! 荷物のてっぺんに乗っているのは、大阪の初めての個展に出した木のバッグです。当時小学校の図工講師をしていた私が、やんちゃな男子がキック!パンチ!して戯れる様子をデザインしました。今も大好きなバッグです。私の原点のバッグです。