tsubaki_style2007-01-17

手帳カバー会心の仕上がりです。リクエストに答えて、カードなどが三箇所に入るようにしました。さあ、うるさい長男は満足してくれるか?今日は阪神大震災12年目の日。あの日はとても寒かった。ゴーッという恐ろしい地鳴りにびっくりして目が覚めたところ、下から突き上げるすごい揺れが始まり、衣装たんすがゆさゆさと揺れだして、あっという間に私と長男の上に倒れてきました。その時の様子はまるでスローモーションの映像のように不思議とゆっくりとしたまま、今も目に焼きついています。家中で物がひっくり返り、ガラスが割れる音がします。揺れが収まったと思うと、あちこちで犬が鳴き、電線がビューンビューンと鳴っていました。何が起こったのかわからない。もしかして、爆発?戦争?電気はつきません。外はまだ真っ暗です。大声で別室に寝ているパートナーを呼んで、たんすをおこして助け出してもらいました。寒くて怖くて、震えが止まらず、家族4人小さく集まってふとんにくるまり夜が明けるのを待ちました。明るくなってから見た家の中の様子は・・・・むちゃくちゃでした。テレビが飛んで、冷蔵庫がひっくりかえり、お酒のビンが割れて、破片だらけの台所にはアルコールの匂いが充満しています。作り付けの本棚は壁からもぎ取れ、膨大な数の本と棚板が大きな机(そのころ、芸大の受験塾をしていたので、学生用のもの)を足から折ってなぎ倒していました。アトリエの中もぐちゃぐちゃ。幸い家族全員怪我がなくて、なによりでしたが、それからしばらくして電気がついてテレビで見た神戸の街の惨状は信じられないものでした。なんで?何でこんなことが起こったの?いったいこれから神戸はどうなるんだろう・・・何がなんだかわからず、涙がボロボロ出た。あれからもう12年も経ったのですね。電話が開通してから友人知人の安否をひたすら確かめ、なんとかみな無事だったのですが、教え子のマンションは全壊し、逃げ出した道には遺体が何体も並んでいたとか、パートナーの勤め先の学校の体育館が遺体安置所になっていたとか、まるで戦争中のように死が身近にあった毎日でした。あれから、日本は明るくないように変わってきたと思います。淳君事件に始まり、残酷な事件が次から次と、世間を騒がしてきました。最近は家族や夫婦間の殺人まで重なるように連日起こっています。恐ろしい意味でまた死が身近になったようです。「命の尊さ」などというありきたりで曖昧な言葉がむなしく聞こえます。